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人間はよく自由を求めるが、実はすでに自由に生きている気がする。
なぜなら、まず生きるか死ぬかを自由に選択してるからだ。 どんなに苦しくてきつくてもまず生き続ける事を選択している時点で自由だ。 たとえ貧しくて食べ物もなくても生きんとしているのは自分の意志であり、 人生をストップさせるのも自由である。 こう考えると、不自由を嘆くのはおかしな事だ。社会人になって自由が減るというが、それでも社会人として生活することを選択しているのだ。社会人をやるのもやらないのも自由。お金が無くても自分のしたい事をするのも自由。 ただ、自由に選べる選択肢が少ないのも不幸の要素だ。死ぬか生きるか、これは極限状態。自分の行きたい学校に行けない、やりたい職に就けない、ほしい物が手に入らない、食べれない、選択肢が減れば減るほど不幸だ。かといって、選択肢が増えても悩みは増える。選択肢が少ないとある程度割り切って生きれるが、多過ぎると何がしたいのかわからなくなる。 ただ、どちらにしろ本質的に人間は自由なんじゃないかと思う。選択肢の多い日本で自殺が多く、選択肢の少ない貧しい国の人が必死に生き続けてるのは何か皮肉なものだ。
by hamamuratomonari
| 2007-08-18 18:54
| 哲学者の小屋
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