戦争の無い世界を創るために


「戦争の無い平和な世界を創る」という企業理念のユニバーサルピース株式会社代表取締役のブログ
by hamamuratomonari
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勉強会&焼肉パーティー

 将来の政治家たかし君の提案で立ち上がった「勉強会」をしました。それぞれが書いた論文について研究発表するもので、「知識の共有化」を目的としました。
 平和学の父ガルトゥングについて、人道援助機関の問題点、NATOの将来性、国内避難民、国連改革の限界(俺)、食糧問題と人権など多岐に渡りました。参加できなかった人のためにも、簡単に要約してみようと思います。
  
 (平和学ガルトゥング)  

 多くの分野を包含する「学際的」学問であること。ケネスボールディングの奥さん、エリーズボールディングが「平和学の母」と言われている。核の脅威が平和学を生んだが、その元となる構造的暴力の思想は、北と南の経済格差(南にとっては戦争が無くても平和ではないという主張)から生まれたこと。「Peacelessness」→「Structural Violence」。ガルトゥングの理論を突き詰めると平等主義に陥ってしまう危険性。中央周辺理論(例 北南のトップ同士の利益)。

 (人道援助機関の問題点) 

 UNHCRが直面する問題。難民を元の国に帰しても生活が変らない。キャンプ内の難民間で地位が違う。難民内に軍人もいるので、国連職員が脅される。ルワンダのツチ族(少数派)、フツ族(多数派)の紛争。元は宗主国のドイツ、ベルギーが民族間の格差を生んだ。大統領が暗殺された後、94年にフツ族によるツチ族の虐殺。そして、被害者では無く加害者が報復を恐れて難民となる。戦後復興における軍事力の必要性。難民を帰還させたらUNHCRは無力。任務が終わっても問題が続く。現実の戦略はAid戦略とPolitical戦略の中間を取る。

 (NATOの将来性)

 NATO(北大西洋条約機構)は、ソ連に対抗するために作られた同盟組織。Member外の国に出て、人権や平和維持に関わり始める。国連決議無しで、NATO単独によるコソボ空爆など。NATOはロシアに対して門戸を開いている。つまり、冷戦の枠組みを越えた包括的な安全保障のために。2002年よりEU軍が実施。NATOのバックアップ、NATOの物をEU軍が使用できる。東欧の経済発展のためにもNATOがEUとアメリカの繋ぎ役となっている。

 (国内避難民)

 国内避難民(Internally Displaced Persons)。Sudanなどにおける国内の難民。ガイダンスはあるが、法の拘束力が無いため実効化できていない。国際法の確立の必要性。

 (食糧問題と人権)

 8億人の栄養失調は人権問題か?WHOやFAOは人権問題として扱っているが、AmnestyInternationalやHumanRightsWatchなどの主要なNGOは、食料問題を人権問題として扱っていない。そもそも食料問題は基本的に経済問題。人権問題とは食糧問題など基本的な問題を解決した上での問題を指す。しかし、食糧問題こそ人権問題として扱うべきで本末転倒。

d0054969_21195221.jpg といった感じでした。何か間違えあったら発表された方訂正お願いしますねw 実際に「知識の共有化」が実現でき、とても有意義な勉強会でした。これからも続けていきましょう!その後はみんなで焼肉パーティーしました。やっぱり焼肉のたれはうまい!!知識と肉を吸収し、さらなる変身を遂げた一日でした(笑)
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by hamamuratomonari | 2006-01-28 21:25 | 平和の泉

愛国心と誇り 「君が代」

 よく平和を訴える人の中には「君が代」「日本国旗」に反対し、単に「戦争反対」「軍国主義」反対という人がいます。しかし、彼らは本当にそれで世界が平和を維持できると思っているのでしょうか。もし、本当に世界平和を望むなら、日本のみならずあらゆる国から戦争を失くしていくことに努力を注ぐべきだと思います。それに彼ら自身「君が代」の歌詞の意味を知っているのでしょうか?

 「君が代」は、平安時代に詠まれた和歌を基にした歌詞によって創られたと言います。江戸時代頃には、一般的な祝いの席で祝いの歌として庶民の間でも歌われるようになりました。また、「君」の解釈にも変化が生じ、例えば婚儀の席で歌われるときは「君」とは新郎のことを指し、新郎の長寿と所帯の安息を祝い祈願する歌として用いられと言われます。すなわちこの場合「君」は「あなた」ということになります。
 しかし、明治になって正式に国家として編曲し直し、天皇崇拝、軍国主義などに以後使われるようになり、「君」が「天皇」へとすり変ってしまいました。また、天皇とは違って、「君」が「国自体」を意味しているという説もあります。この説で改めて君が代の歌詞の内容を見るととても素晴らしい内容である事が分かります。
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 君が代は(日本は)
 千代に~八千代に(千年も八千年も末永く)
 細石の巌となりて(細石、国民が巌のように一致団結)
 苔の生すまで(苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように)

 とても感動的な内容だと僕自身は思います。要は「君」の解釈次第だけど、細石の所からもわかるように「君」が元々「天皇」を意味していたとは思えないし、元はやはり和歌なので「あなた」というのが一番妥当だと言われています。
 よく考えれば英国は「God save the queen(神は女王を救い給う)」だし、フランスは古い軍歌でもある「ラ・マルセイエーズ」を国歌としています。この国歌は、テュイルリー宮襲撃の時、パリ入城したマルセイユ義勇軍によって歌われたのをきっかけとして『ラ・マルセイエーズ』という名前になり、1795年に国歌となりました。歌詞がかなり過激なので紹介します。

(一番)

 いざ進め 祖国の子らよ
d0054969_4101212.jpg 栄光の日は やって来た
 我らに対し 暴君の
 血塗られた軍旗は 掲げられた
 血塗られた軍旗は 掲げられた
 聞こえるか 戦場で
 蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
 奴らはやってくる 汝らの元に
 喉を掻ききるため 汝らの女子供の

(コーラス)
d0054969_462752.jpg 
 武器を取れ 市民らよ
 組織せよ 汝らの軍隊を
 いざ進もう! いざ進もう!

 汚れた血が
 我らの田畑を充たすまで

最初読んだ時正直過激過ぎて笑ってしまったが、これがまだ現在国歌として歌われているのだからちょっと怖い。。この国歌や他国と比べても日本の国歌は元々和歌から生まれているし、それほど軍国主義ではないと思います。それに、国歌や国旗の件で自殺する校長が出るような日本はやはり少し異様ではないでしょうか。平和は絵空事や理想事を訴えるだけでは実現しない。理想を掲げ、どこまでも現実的に平和を求めてこそ、平和は実現できると思います。身近な家族、友人、恋人を愛し、幸せにできないような人は世界も幸せにできないと言います。国家を擁護する訳ではありません。むしろ国家を超越して地球規模で物事を考えるべきだと思います。ただ、故郷を愛し文化を大事に守りながら、世界平和を目指すべきではないかと思う今日この頃ですw
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by hamamuratomonari | 2006-01-26 04:15 | 平和の泉

酒と旧皮質

 恒例の打ち上げに行って参りました。夜の8時半にTHE HEADというパブで集合予定なので行って見るとほぼ一番乗りでしたw 少しずつ人が増え最終的には満員状態でした。みんな国に帰ったり、スペイン、パレスチナなど旅に出たりと、いい冬休みを過ごしたようです。
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 酔いも回ってきて、中には倒れる子、舌が回ってないのに演説を始める子、椅子の上に立って踊る子、猿の真似して踊る子、性欲むき出しの子などいろいろ増えてきます。そしてRevolutionというお決まりのクラブに行ってみんな肩を斜めにして踊ります笑

 そして、深夜3時頃閉店となり、みんなで帰ることにします。すると、何やら院生の一人と、見知らぬ兄ちゃんが喧嘩を始めました。島根県コンビの二人で仲裁に入りました。俺は酔ってたけど頑張って「何も起こってない!空を見ろ!」と言っていました笑 なにやらその兄ちゃんが女の子を触ったそうです。。まぁ無事流血無く、紛争解決できました。

 しかし、平和学を学んでいても、酒によって理性を司る新皮質がべろりとはげて原始の旧皮質がむき出しになれば意味が無いですね。民俗学者の梅棹忠夫は宗教紛争や民族紛争は「所属欲求」の問題だからこの旧皮質が原因だと言っています。また、浄土真宗では旧皮質こそが人間の本性だと考えているそうです。その逆に、日下公人は新皮質の最も発達した前頭葉によって、自信過剰や考え過ぎが起こり、軍備増強や先制攻撃をすると言っています。いずれにしろ脳が問題みたいです(笑)

 新皮質でいくらカッコいい事言ってても、旧皮質が出てくると人間は猿のようになります(笑)。皆さん旧皮質の出現には気をつけましょう!ww
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by hamamuratomonari | 2006-01-24 19:51 | 酒場

ふぅ~ぅ終わった!!

 無事3枚の論文を提出し、これで一学期が終了した。結局一学期中で合計4枚のエッセー、約1万5千語書いたことになる。院に入る前は書けるか心配だったが、意外に書けました。(Passするかが問題だけど笑)
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 今学期僕が書いた論文のテーマは、

 ①正当な抑止はあり得るか?(核抑止など)
 ②政府なき統治 (Governance without Government)
 ③"Brahimi Report"による国連平和維持の改革
 ④"A More Secure World"Reportによる国連改革について

 主に国連について研究しました。基本的に全てのテーマにおける問題点は「世界はまだPowerPoliticsの中にある」ことだと思いました。環境問題、テロ、感染病、核の拡散などの問題が国境を越えている中、NGOや民間企業、インターネットなどによる個人の協力関係、Governance Without Governmentの可能性が重要になっています。しかし、地球規模の問題を解決するには大国の協力が必須です。京都議定書や国際司法裁判所などの国際的枠組みにアメリカが参加していないのは地球統治における最大の障害だと思います。

 "BrahimiReport"はルワンダやソマリアにおける国連平和維持軍の失敗を教訓に、Rapid Deployment(迅速な軍の配置)など具体的な提案を挙げました。しかし、スーダンのジェノサイド(アメリカ下院可決。国連は否定)において、迅速な平和維持軍は派遣されませんでした。スーダンに石油利権のある中国、ロシアが派遣を遅らせている一因でもあります。多くの国(リベリア、コートジボアールなど)で、レポートが提案した事を実行しているようですが、スーダンのような急な事件に対してBrahimiReportが1990年代の教訓を生かせているかは疑問が残ります。

 イラク戦争後、国連の限界を感じたアナン事務総長はHigh Level Panelにおいて"A More Secure World"というレポート(2004)を発表しました。軍事のみならず経済、貧困、感染病、環境破壊に対する包括的安全保障。国家間紛争、国内紛争。核、生物科学兵器。テロリズム、国際犯罪など広範な分野において101の提案を出しました。安全保障理事会の拡大も提案されましたが、常任理事国が拒否権を保持している時点で、拡大しても効果はあまり見られないでしょう。問題はやはり大国の利権争いであり、拒否権による無制限の主権を行使できる限り、国連の根本的欠陥は解決されないと思います。

 以上のような国連の限界を踏まえた上で、大国間の争いを抑止する世界警察の可能性を修士論文に向けてさらに研究していこうと思います。以上勉強報告でした(笑)。
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by hamamuratomonari | 2006-01-23 20:12 | 平和の泉

Band 結成!

 念願のベーシストをギターリストのクリスが発見し、今日初のセッションをした。6年間やっている20歳のイケメンイギリス人Danだ!指弾きでなかなかファンキーな演奏をする。これでさらにもう一人のギターリストLiamが来週参加するので、バンドは確実に結成される!曲はクリスのオリジナルがメインで、Radiohead風プログレロックっぽいが、なかなかアグレッシブだ!

 しかし、ダンとクリスの会話がほとんど聞き取れなかった自分の英語力にショックを受けた。内容がマニアックなバンドの話だったせいもあるけど、早過ぎて会話に参加するのが必死だった。これがネイティブスピーカーの英語なのだと再認識した。院生はいろんな国から来ていて完璧な英語を喋らないし、イギリス人やアメリカ人の生徒は手加減して話してくれているから会話について行ける。しかし、今回の二人の会話は本当に聞き取れなかった。さらに来週からLiamが来れば俺以外全員イギリス人。さらなるリスニング力が求められるだろう。英語習得の道はまだまだ険しい。。
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by hamamuratomonari | 2006-01-20 08:30 | 音の館

エジプト砂漠の旅 最終回

さぁ、とうとう最終回です!長かったなぁ(笑)

 朝8:00の電車に乗るために、6時頃に起きる。外に出ると、いくつかの屋台がすでに開いているので、アレーシに野菜と肉団子を挟んだシャワルマと甘い揚げボールを買って電車に乗り込む。予想以上にかなり電車内は綺麗。エジプトの電車は総じて綺麗だ!

 自転車などで一年半ヨーロッパから旅をしているサイババみたいなアメリカ人に出会う。髪が爆発して、歯も抜けていて、英語何しゃべってるかあんまりわからなかったww d0054969_2084717.jpg
 さすがに一年半も旅はできないなぁと感心すると共に、「何が目的なのかなー」、と疑問に思う。旅人にとっては「旅」自体が目的なのかもしれない。しかし、一歩間違えれば目的を失った放浪者と変わりない。僕自身、目的の持った旅をして行こうと思った。昼の3時ごろなのに、車掌さんに「Dinnerはいるか?」と訊かれる。そんな物まであるのか!興味津々頼んでみることにした。値段も400円でチキンなどなかなか豪勢だった。食後本を読んだり、景色を眺める。

 結局アスワンから14時間経ってカイロへ到着!やっぱり都会だ!タクシーで乗り合わせた女の子とかもタバコ吸ってギャルっぽかった(笑) 外はエジプトで初めて見る雨だった。カイロの混沌に満ちた俗世を洗い流すかのようだった。しかし、雨が降っていてより運転は困難を極めている。
 レースのような交通状態を抜け、空港へ到着。ターミナルが違ったのでバスで移動する。空港内は非常に簡素だった。何もすることがなかったし、疲れていたので椅子で2時間ぐらい寝てしまった。飛行機は深夜2:55発で、再びアムステルダムへ向かった。ジャンボ機内では椅子の前に映画や音楽、ゲームなどできるスクリーンがあるので、『電車男』と『BreatKids』という日本映画を観た。アムステルダムに到着して2時間暇を潰し、飛行機を乗り換えてロンドンへ。
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 ロンドンの中心地ピカデリーサーカスに戻った時改めて綺麗だなぁと感動した(ブラッドフォードに戻った時も感動w)。全てが綺麗だった。やっぱり先進国なんだと再確認(笑)。スーツを着ているおっちゃん達が特にかっこよかった!日本食レストランで「カツ丼」を食べ、ジャパンセンターで「おたふく焼きそばソース」等を買ってバスでブラッドフォードへ。
 結局夜の10時頃に到着。移動尽くめでさすがに疲れていたが、自分の部屋に入ってインターネット、音楽、温かいシャワーなどの現代技術に改めて感謝した。インドから日本に戻った時、日本全体が「病院」のように感じたが、似たような感覚を覚えた。「安心」なのだ。今回の旅は10日間で7都市も行くハードスケジュールだったので「刺激」が強過ぎたのかもしれない。でも、体力も回復した今、改めてエジプトは素晴らしい国だったと思う。壮大な古代遺跡と混沌とした現世が並存している光景がとても感動的だし、人がとてもいい。もし、機会があればぜひ訪れて欲しい国です。

 さて、現在と言えば、来週の月曜提出の論文に追われています。エジプトで感じた歴史的なマクロ視点と現実の貧富の格差を忘れずに研究に没頭していけたらと思います。それではまた!長い日記を最後まで読んでくれて有難うです!
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へったくそな字やな~!(笑)
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by hamamuratomonari | 2006-01-19 20:15 | エジプト砂漠の旅

エジプト砂漠の旅 第九話

 早朝3時にノックがして、朝食を買い物袋でもらう。中身はアレーシというチャパティのような物と、ジャムとチーズといった感じ。ワゴンにすでに他のホテルからの西洋人が乗っている。10人ぐらい乗って、暗闇の中アブシンベルへ向かう。途中一時停止したら、他の巨大な観光バスなどが沢山待っている。どうも、観光客の大群で行くみたいだ。大群の観光バスでゲートを越えていき、再び砂漠が広がる。日の出がとても綺麗だった。いつの間にかみんな爆睡していて、2時間ぐらいでアブシンベル大神殿(紀元前1300年)へ到着した。
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ラメセス2世の巨像は思った程大きくはなかった。中国西安の龍門石窟と大差ない印象を受ける。でも、中には巨像が4体あって、壁画もまた他の遺跡とは違って素晴らしかった。ラメセス2世が、ヒッタイトと戦ったカデシュの戦いをレリーフとした壁画がほとんで、ラー神、アモン神といった神々が描かれている。

 中国の春秋時代も言えることだが、人類は紀元前から戦争をしており、改めて人類の愚かさを見ると共に戦争の変遷を感じた。争いの根本精神は人間から失くすことはできないだろう。だが、戦争の形態や規模は変わり続けており、もはやEU内の戦争可能性もかなり低い。戦争の原因は人間の本性ではなく、システム的な問題だと再認識した。
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 日本人団体客は神殿内に入る前に、丸ごと物売りの対象になっていた。ツアーも楽じゃないなぁw子供とパピルスの値引き交渉をした。セッタ!(6)ハムサ!(5)などと言い合った。せこいけどこれが楽しいw 大体観光地での値引きは元値の三分の一まで確実に下がるので皆さんも頑張って下さい(笑) 

d0054969_19174952.jpg その後、アスワンダム、イシス神殿へ行く。ここイシス神殿は川の真ん中にあり、迷宮のような造りで結構いい!帰りのフェリー乗り場で、韓国人女の子3人が英語が話せず困っていたので、俺が助けてあげたw ちょっとかっこ良かったかも(笑)。その後、「ケンチャナヨー(大丈夫)」などと冬ソナで覚えた韓国語を披露(笑)。 
 ワゴン内のみんなも結構疲れてきたので、ホテルに帰ることになった。昼食はホテルの女の子が買ってきたコシャリ。三食続けてコシャリだけど飽きない。夜はスークという市場を通り、川沿いの船上レストランで最後の晩餐。ステーキとデザート食ってもたったの(400円)。日本語が飛び交うスークを「マッサラーマ」と言いながらホテルへ帰っていく。もう、「マッサラーマ」と言う数も残り少なくなって少し寂しさを感じた。。明日はとうとう帰国だ!
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by hamamuratomonari | 2006-01-18 19:27 | エジプト砂漠の旅

エジプト砂漠の旅 第八話

 たっぷり寝てヒロシの体調もちょっと良くなったので、『王家の谷』(王の墓が沢山ある)に行こうと思ったが、船で対岸に渡ったりと時間がかかるので止めることにした。朝食をゆっくり食べ、インターネットをしたりして、正午までのんびりすることにした。
 チェックアウトしてバス停へ行くが、ルクソール→アスワン行きのバスは無いとのこと。電車で行くしかないみたいだ。崩壊している駅前を通って、駅内のチケット売り場へ行く。どんどん割り込んで来るし、喧嘩を始めたり、どうしようもなかったので強引に突っ込んでなんとかチケットを買った。

d0054969_245166.jpg 17:00発で時間に余裕ができたので王家の谷へ行くことにした。フェリーで1ポンド(20円)で対岸まで行く。甲板の上でテイクアウトしたコシャリを食う。やっぱうまい!
(これは豪華客船。ルクソール、アスワンなどはナイル川クルーズの客船が沢山ある。)

 船着場からタクシーを値下げしまくって10ポンドで王家の谷まで行く。王家の谷にはラメセス2世など歴代の王の墓が洞窟内にある世界遺産である。ここら辺一体の遺跡群はナイル川の西岸に位置し、東岸の神殿から見ると、日が沈むためあの世に繋がっていると考えられていたらしい。そのため西岸に王の墓が集中しているのだ。d0054969_2551031.jpg

 さすがに他の遺跡とは違い、壁画もカラフルで立体的で保存状態がとてもいい。王ではないが、ミイラも置いてある。再び頭の中は「風の谷のナウシカ」だ(笑)。しばし感慨に耽りながら、太古の世界へタイムトリップしていた。。。
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 帰りも値引き交渉に勝利し、船乗り場へ戻る。時間が迫ってきたので、コーラや水のボトルを買って電車に乗り込む。3時間弱でルクソールと同様世界遺産都市であるアスワンへ到着。一泊6ポンド(120円)のマルワホテルへ行く。日本人旅行者が寄せ書きした情報ノートがあって、アフリカ旅行の情報が満載で凄かった。明日はアブシンベル神殿へ行くため早朝3時に起きなくてはいけないので早く寝ることにした。。
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by hamamuratomonari | 2006-01-18 03:10 | エジプト砂漠の旅

エジプト砂漠の旅 第七話

 朝起きてフロントへ行くと、すでに警察官二人が待っていた。フロントに人がいないので、鍵を置いて銀行へ向かった。警察官の一人が俺らと一緒に歩き、その後ろに三人ぐらい乗っている警護車が常について来る。「自由」ではないが、「安全」は確保される。スパイ活動を監視するためなのか、単に観光客を保護するためなのか、たぶん両方だろう。しかし、ある程度の「制限」で安全性が保たれなければ、逆に「不自由」になる。「自由」とはある一定の制限(きまり)の下に存在できると思う。それは個人から国際間にまで言えることだ。

 銀行が閉まっていたので、近くの小店で果物を買って食べる。エジプトのみかんは日本並みにおいしい!ATMが開いたのでお金を下ろし、警察官にルクソール行きのタクシーを頼む。ここハルガ(カルガ)オアシスからルクソールへは、通常のバスが通っておらずタクシーで行くしかないのだ。今一体どういうルートで旅しているか地図で示しておこう。
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(カイロから西方のバフレィヤオアシス→ファラフラオアシス→ダフラオアシス→カルガオアシス→ルクソールと向かっている。その後アスワン→アブシンベルと南下。)
 ルクソールの北のアスユートにはバスが出ているが遠回りになって時間もかかるのでタクシーで直接ルクソールへ行くことにしたのだ。カルガオアシスを抜けるまで、警察の護衛車はついて来、ゲートで警察官の一人がタクシーに乗ってきた。オアシスを抜けてまで監視するつもりだ。再び砂漠の中の一本道を走り、ドラム缶だけで仕切られるゲートを何個も越える。そして、警察官は途中下車し、代わりになぜかアスワンのホテルスタッフのエブラヒムが乗って来る。

 ポリスがいなくなってから、陽気なタクシー運転手はいきなりバクシーシを要求してきた。でたーw エジプトでは貧しい人から普通の人までとにかくバクシーシと言ってくる。イスラム教の慣習とは言え、少し問題だと思う。物乞いを装って大金持ちな人達も実際いるようだし、モラルハザードになってるんじゃないだろうか。。4時間ぐらい経って、緑が増えて来る。エジプトで最も遺跡がある古代首都ルクソール(テーベ)に到着する。ゲートがいくつもあり、途中から再びマシンガン持ってる軍人護衛車がついて来る。結局Happy Land Hotel に到着後、オーナーと相談して運転手にバクシーシ20E£あげることにした(何か渡さないと帰らないw)。 疲れがたまっているので仮眠を取ることにした。

 夕方に起きて、屋上レストランでチキンライスを食べた。やっぱり都会はなんだかんだで便利で落ち着く。砂漠は現地人にとって「熱くて何も無い所」らしいが、この時は同感できた。最初は感動するけど、すぐ飽きます(笑)。夜はやっと観光客らしく、カルナック神殿の「光と音のショー」を見た。音楽はステレオで迫力があり、いかにもエジプトらしい雰囲気で幻想的だった。やっとほっとできたw
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by hamamuratomonari | 2006-01-17 18:06 | エジプト砂漠の旅

エジプト砂漠の旅 第六話

 昼のチェックアウトまで本を読んだりして体を休ませることにした。ここファラフラオアシスは軍事拠点のくせにとても小さく、ホテルやレストランは一軒ずつといった所。フセインレストランというMadeInJapanと書いてある板でできた簡素な店でチキンを食う。 

 バスは小さカフェの前に止まるらしく、ここでも3時間ぐらい待った。到着予定時間を大幅に遅れても来ないので、軍人のお兄さんが「この荷台車に乗っていけ」と言う。他に四人の若い女性と三人の男性が乗ってきた。ダフラオアシスまで行くそうだ!石だらけの悪路を抜け、砂漠しかない道路を突っ走る。風がもろに当たるのでヒロシはかなりきつそうだ。。

 隣の女の子達とアラビア語の会話本片手にいろいろ話す。彼女達はカイロからやってきていて、スカーフは被っているが、携帯を持ちジーパンを履いている都会っ子だった。携帯の写真でみんなに激写された(笑)お返しにデジカメで撮ろうとすると、スカーフで顔を隠し始めた。イスラム教では結婚前に外国人に写真を撮られたら、他の男性にいいイメージを与えないらしい。そう知っていたが、撮ってやったwww 彼女達も笑いながら顔を隠す。
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 4、5時間経って日も沈み、砂漠しかない道をケツの痛みと強風に耐えながらなんとかダフラオアシス前に到着。そこからさらに乗り合いワゴンタクシーのセルビスに乗り換える。俺ら二人以外完全にエジプト人でぎゅうぎゅう詰め。真っ暗な道を2時間ぐらい走って、ダフラの中心へ着く。そしてさらなる目的地ハルガオアシス行きのセルビスがあったので乗ろうとしたが、どうも怪しかったので隣の正規バスに乗る。ふー、やっとまともなバスに乗れた。
 3時間程バスに揺られ、ハルガオアシスに無事到着。降りるとすぐにポリスがいて、「どこのホテルに行くのか?」と訊かれる。近くの安宿の名を伝え、再びポリス保護の下ホテルまで行く。ホテルはベッドも汚く、シャワーも出ない所。かなりきつい一日でイギリスが少し恋しくなった。砂漠、なかなか手強いなぁ。。
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by hamamuratomonari | 2006-01-17 03:21 | エジプト砂漠の旅