戦争の無い世界を創るために


「戦争の無い平和な世界を創る」という企業理念のユニバーサルピース株式会社代表取締役のブログ
by hamamuratomonari
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カテゴリ:哲学者の小屋( 20 )


根本的な疑問

朝起きて会社に行く時に思う。

何故みんな地球の一部が太陽の光に照らされてるからって働くのか。人間も動物も昆虫達も太陽に動かされている。というか太陽が無いと何一つ生きれるものは無い。根本的に不思議だ。

また、会社で評価がどうのという話が出る。

何が評価だ。化合物が化合物を評価してどうになる。宇宙的視野でみると微生物が微生物に対して頭がいいねぇ、体つきがいいねぇと評価するようなものだ。評価とはそもそも何なんだろう、主観と偏見の塊でもある。良い評価はより限られた短い人生を過ごしやすくするものなのか。
みな評価を気にし過ぎて生きている気がする。子供の頃から勉強して、成績評価が気になる。恋人の評価が気になる。上司の評価が気になる。周りの評価ばかり気にして、自分自身が幸せかどうかをまず考えるべきだろう。本人が幸せなら問題無いじゃないか。

例え地球のリーダーとなって名声やお金を思うがままだけど自由が全くなく苦しむのと、
ホームレスで何もないけど時間だけはたっぷりあるのと、どちらが幸せかなど当の本人にしかわからない。一般論で周りが評価すべきではないだろう。周りの評価など余計なおせっかいだ。
地球のリーダーもホームレスも宇宙から見たら見えやしない。飛行機に乗っても見えやしないのに。どうして人は超ど近眼で生きれるのか。目の前の事、死ぬまでの短い時間をどう生きるかに無駄に悩んでいる。まったくもって根本的な疑問である。
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by hamamuratomonari | 2007-09-22 02:35 | 哲学者の小屋

本質的な自由

人間はよく自由を求めるが、実はすでに自由に生きている気がする。

なぜなら、まず生きるか死ぬかを自由に選択してるからだ。

どんなに苦しくてきつくてもまず生き続ける事を選択している時点で自由だ。
たとえ貧しくて食べ物もなくても生きんとしているのは自分の意志であり、
人生をストップさせるのも自由である。

こう考えると、不自由を嘆くのはおかしな事だ。社会人になって自由が減るというが、それでも社会人として生活することを選択しているのだ。社会人をやるのもやらないのも自由。お金が無くても自分のしたい事をするのも自由。   

ただ、自由に選べる選択肢が少ないのも不幸の要素だ。死ぬか生きるか、これは極限状態。自分の行きたい学校に行けない、やりたい職に就けない、ほしい物が手に入らない、食べれない、選択肢が減れば減るほど不幸だ。かといって、選択肢が増えても悩みは増える。選択肢が少ないとある程度割り切って生きれるが、多過ぎると何がしたいのかわからなくなる。

ただ、どちらにしろ本質的に人間は自由なんじゃないかと思う。選択肢の多い日本で自殺が多く、選択肢の少ない貧しい国の人が必死に生き続けてるのは何か皮肉なものだ。
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by hamamuratomonari | 2007-08-18 18:54 | 哲学者の小屋

シーシャとワインとトルストイ

僕の愛器シーシャ(水タバコ)とワインを飲みながら、トルストイの「人生論」を読む休日。
うーん、至福のひと時だ。暇なので映画の「レインマン」を見た。平日働くと、休日は何もしたくなくなる。「休日は腐る」これが社会人の鉄則だ(笑)。
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しかし、就職して早半年。あっという間だった。仕事は相変わらず毎日わからない事が出てくる。一人前になるのは5年かかるという世界だからしょうがない。刀職人も三年は炭作りしかできないという。仕事というのは結局は経験だ。   
    
さて、父親から若槻礼次郎(島根県出身初の総理大臣)のパンフレットが送られてきた。政治家になるのが最終目標にも関わらず、最近は政治(特に日本政治)に興味が薄れていたので改めて初心に戻る気持ちになった。やはり、普通にサラリーマンで働いていると政治にあまり関心を持てない、自分の事で精いっぱいになるのだ。休日に投票に行く気も失せる。この社会的な環境が投票率の低い大きな原因かと思う。政治というのはある種、自分に余裕がないと関心が持てないものだ。政治とは他の人や社会全体の事を考えるものだから、自分にとって特に問題でなければ興味を持つのは難しい。そこを無理やり政治に興味を持たせるというのも難しい。

人々の生存に関わる問題が出てきた時、政治というのはやっと求められる気がする。
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by hamamuratomonari | 2007-07-21 18:42 | 哲学者の小屋

凡人道

今日もまた叱られた。わかっちゃいるけどミスっちまう。俺はあんまし実務家には向いてないなーと思う。かといって学者も向いてない。無鉄砲に旅をするぐらいなら得意かもw 自分は全く凡人だなーと思う。頭もキレないし、運動もできないし、特にこれといってスペシャリストでもない。
毎日おいしいものを食べたり、テレビ番組みたり、ぐっすり寝たり、そんな日常が有り難くてハングリーに何かを追究もしない。

昔は偉人を目指し、人がやらない事ばかりやろうとした。でも、ユーラシア横断してるときに普通に生きれるということにすごく感謝したし、普通になろうと思った。だが、やっぱり自分が普通になってしまうのは寂しいし生甲斐が無い。凡人道まっしぐらのいまの自分が何かむかつく笑。
社会に飼いならされてしまう自分がいやだ。まぁ、贅沢な悩みだが。生きてるだけでも幸せなのに。
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by hamamuratomonari | 2007-05-24 22:23 | 哲学者の小屋

名声と恥

人は恥を避け、名声を求む。

1900年前のローマ皇帝マルクスアウレリウス帝の言葉。

名声について
「死後の名声について胸をときめかす人間は次のことを考えないのだ。すなわち彼をおぼえている人間各々もまた彼自身も間もなく死んでしまい、ついでその後継者も死んで行き、燃え上っては消え行く松明のごとく彼に関する記憶が次から次へと手渡され、ついにはその記憶全体が消滅してしまうことを。しかしまた記憶する人々が不死であり、その記憶も不朽であると仮定してみよ。いったいそれが君にとってなんであろうか。いうまでもなく、死人にとっては何ものでもない。また、生きている人間にとっても賞賛とはなんであろう。せいぜい何かの便宜になるのが関の山だ。ともかく君は現在自然の賜物をないがしろにして時期を逸し、将来他人がいうであろうことに執着しているのだ。」

恥について。
「せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はほとんど終りに近づいているのに、君は自己に対して尊敬を払わず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。」

しかし、自分の人生は相対的には(宇宙の歴史に比べ)短いかもしれないが、絶対的には(主観的)長いものだから、恥や名誉に悩まされるのが常だろう。他人の賞賛や中傷に振り回されず、ただ自分が正しいと思うもの、すべき事(と思いこんでる)をするだけである。であるから、他人の行為を褒めたり非難したりするのはそもそも余計なおせっかいであるし、その権利は無い(笑)。しかし、人間社会を円滑に進めていくにはこの賞賛と非難がうまく利用されている。全体のために個が犠牲になる、それが生命の運命かもしれない。

スポーツができたらかっこいい。外国語が話せたらかっこいい。お金もち。頭がいい。
顔がいい。スタイルがいい。その根本的動機は名声により、異性や同性から支持を受け、より現実的に生き易くなり、さらにはより優秀な子孫を残せ、最終的には人類の遺伝子がより生き易くなる。全体の将来のために個々人がより優秀にならんとする。これは選択ではなく一種の強制ではないだろうか。自分で選んでいるように見えて、選ばされてる。生命は遺伝子のレールに敷かれている強制労働者だ(笑)
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by hamamuratomonari | 2007-05-03 00:37 | 哲学者の小屋

老子

ある人生の大先輩と再会し、政治から宇宙までいろいろとお話をした。
やはり経験を積まれた人、書の言葉には奥深さがある。

専門技術などのハウツーものではなく、「人類はこうあるべきだ」
という理念を語った書や人は歴史に長く残る。


聖書やコーランなどその最たるものだ。
目からウロコが落ちる言葉でした。

中国の古典もまた理念を語った書物が多い。
孫子の兵法、論語、韓非子、老子、荘子、墨子。
今は老子を読んでいる。
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「和光同塵」
真の知者は、知をひけらかさない。知をひけらかす者は、真の知者ではない。
真の知者は、感覚にとらわれず、みだりに私意をはたらかせもしない。
才知を捨て、自己主張もせず、ただ平々凡々として、世俗に同調する。


まだまだ、修行が足らんと思う一言だ。また、

人の体は生きている間は柔らかい。だが、死ねば堅くなる。
草木は生きている間は柔らかい。だが、死ねば堅くなる。
武力を誇る者は滅び、堅い木は折れるではないか。
弱小は強大に勝つ。これが自然の法則である。


筋トレして堅くなるのはある種、死に向かってるのではないかと少し笑えた。
赤ちゃんはものすごく柔らかい、水も柔らかい。しかし、その生命力は並外れている。
体も頭も柔らかく無為自然でいるのが真の強者かもしれない。
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by hamamuratomonari | 2007-03-21 18:23 | 哲学者の小屋

宇宙の仕事

人はいずれ死ぬのに何で働いて生きるのかと考える。
僕も大学の時は「いずれ」はと厭世的だったが、最近はそれも卒業してきた。
自分が宇宙の原子だと考えれば、死んでからも宇宙をさまよい何らかの「仕事」をするだろう。
そう考えると現世も死後も一単体として「働き」続けることになる。
生きていても何らかの役割があり、死後も何らかの役割がある。

一社員として会社全体を構成するのも、一原子として宇宙を構成するのも根本は同じ。
ならば、死後も宇宙で仕事をするわけだから、現世の仕事もその一端だと思えばおもしろい。
要は全体を構成する一要素なのか。その中で心臓になるか脳になるか、はたまた大腸となるのかは本人のそもそもの要素でもあり意志でもある。たわけの話です笑
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by hamamuratomonari | 2007-03-15 22:41 | 哲学者の小屋

無駄死

無駄死になんかあるのだろうか。そもそも、死は旅の途中の停車駅みたいなもの。そこへ行く方法が違うだけで、どんな死に方で死に到着しようが結局は同じ。人類の歴史という短いスパンで考えるならば、人の死に方は大事かもしれない。歴史に残る死、戦死、自殺、病死、老衰、人類の歴史に名を残したいなら「無駄死」という考えはありうるかもしれない。だが、人類もいずれ終わるという事を忘れてはならないと思う。どれだけの偉業を為そうが、悪行を為そうが、世界平和を達成しようが、人類史も消える時が来る。数億年後には太陽の膨張により、地球は灼熱化する。さらに、宇宙もいずれ終わると東京大学名誉教授の竹内均は言う。人類もいずれ死ぬのであれば、「無駄死」という概念自体意味をなさないのではないか。ある死に方を「無駄死」と称するならば、全ての死は無駄死にだ。
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 学部時代に環境と経済、社会を両立するための「持続可能な社会」について研究した時、そもそも「持続可能」とはどういう意味かを考えた事がある。持続可能、それは永続可能ではない。地球もいずれ死ぬという時間的制約の中で、いかにより長く、より平和に環境と共存するかを目的としているのであり、宇宙的規模で永続する事は不可能だ。この目的は人の人生と同じ、死ぬという事が大前提で、より長く、より平和に生きんと皆が欲する。僕はよく人生とは「暇つぶし」のようなものと変わりないと思う時がある。死のうと思えば、死ねるのに死を先送りにして、やりたい事を探し、それを達成するのに日々費やす。空虚な人生を避けるために、日々暇つぶし。ただ、その暇つぶしに何か有意義な意味付けをしたがるのが人。僕は今日も世界平和という人類にとって最も意味ありげなテーマで日々暇つぶしをしているのである。
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by hamamuratomonari | 2006-08-19 18:26 | 哲学者の小屋

無知の真実

本を読むにつれ、改めて自分が無知であることに気づく。それは知識とかではなく、究極の真実は分からないという意味での無知。

Realism, Liberalism, Neo-Realism, Neo Liberalismは、結局の所国際情勢をどういう観点で見るかの「違い」でしかない。Neo-Realismは世界は無政府状態であり、グローバリゼーションのこの時代でもまだ国家主権、軍事力が主要なアクターであり、その世界構造を踏まえて外交政策を立てるべきだと主張する。また、Neo-LiberalismはInstitution、UNやEUといった国際組織またはRegimeの可能性を強調しており、How to surviveよりHow to co-operateを追求する。

しかし、結局の所両者は複雑に絡み合っており、両者は反するものではないと思う。Neo-Realistは国家をどう存続させるかを強調するが、環境問題、伝染病、テロなど国家を越えた問題が顕在化する中、人間、地球全体の安全保障を考えなければ、国家の安全も保障できない時代になっている。そして両学派は「世界が無政府状態」であるという前提は共有しており、その上でどう世界を見るか、どう政策を立てるかを研究する。しかし、最も重要な事は世界が今だに無政府状態であることなのではないか。無政府状態を脱却する事が世界の秩序を安定させる方法ではなかろうか。

無政府状態の国内を考えてみれば、秩序維持の不安定さは明白だ。例えば、法を実効化させる警察がいない。巨大なヤクザ組織、軍事組織がお金を皆からまき上げ、秩序を武力で維持している。世界はこの状態に近い。アメリカや先進国は巨大な軍事力と途上国からの経済的搾取によって世界の秩序を維持してるかのように見える。しかし、新たな大国(中国やインド)が台頭し、環境問題が資源競争を加速させ、貧困国からテロリストが生まれる。世界は悪循環している気がする。

友達が「今の状態は第一次大戦が始まる前の状態、オーストリア皇太子暗殺で戦争が勃発したような一触即発の状態に似ている」と言う。9.11によってアフガニスタン、イラク戦争が起こる世界。今だに世界は無政府状態で、予測が不可能であり、無知である。しかし、だからといって戦争を避ける方法が無いとは言えない。やはり、諸悪の根源である無政府状態を秩序ある世界へ変えていくしかないのではないだろうか。ここに「国際法」(現存の国際法は改変必要)を実効化させる警察力の必要性が再び浮上する。
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by hamamuratomonari | 2006-07-13 19:35 | 哲学者の小屋

Where do we go?

キッチンで鶏肉のモモを切ってて思う。

「なんで俺は鳥の太ももを切ってまで生きようとするのか?」

他の生命を犠牲にしてまでどうして生き続けるのか。植物が生産者。動物が捕食者。
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蟻 猫 犬 トラ 鳥 バクテリア 象 クジラ 全ての生物が他の生物の犠牲の上に成り立ってる。

しかし、どうしてみんなそこまでして生きたいのか?

精子の時点で他と競争してやっと卵子に辿り着き。母子共に必死の思いで生まれてくる。生きるために必死で立ち上がり、言語を覚え、運動をし、勉強をして成長していく。小学校 中学校 高校と勉強をして 大学に入ったり就職したり、女の子(男の子)にモテタイがために、運動したり音楽したり、料理したり化粧したり、オシャレしたり。

 でもこの根源にあるのは、「生きる」ため。より良く「生きたい」がため。

より頭が良く、よりかっこよく、より可愛く、よりおもしろく、より人気者に見せたいと頑張る。Fitter, happier, more productive.

d0054969_7113891.jpg出世してお金を稼いでより良く生きる。世界平和のために身を削ってまで、よりみんなが「生きる」ために頑張る。より多くの人が、より幸せに「生きる」ため。経営者 政治家 大学教授 偉人達は皆の幸せ考えるから賞賛される。殺人者は檻にぶち込まれる。全体が「生きる」ために。

しかし、その先に一体何があるんだろう。全ての生物が「生きる」ために必死になってる。客観的に見ると何か滑稽にさえ見えてくる。

「生きる」事自体が目的なのか?答えは誰にもわからないし、永遠に解らない事かもしれない。でも、ふと考えると不思議でしょうがない。解らないまま鳥の肉を噛み続けるしかない。
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by hamamuratomonari | 2006-04-21 07:22 | 哲学者の小屋